ウォッカギブソン



ワードパレット
伸ばした手、衝動、触れた唇


「……」

眩しさに瞼を持ち上げると視界に飛び込んできた見慣れない天井、少し身じろいでみても落ちる心配のない程にどこまでも続いていそうな大きなベッドはひんやりと冷たかった。ぼんやりとした意識がはっきりとしていくにつれ、あぁ、やっぱり昨日の出来事は夢じゃなかったんだなと軽く二日酔いの頭が更に重くなる。
テーブルの上に置かれた書き置きと部屋の鍵であろうそれを握り締め、自宅へ帰るための準備を始める。私の足元で寝ていた1匹の犬が物音に頭を上げ、じっとこちらを見つめた後にふんっと鼻を鳴らし、ぺたりと顔を床につけた。少ししてから聞こえてきたのは気持ちよさそうな寝息だった。その柔らかな首元に2〜3度指を滑らせ部屋を後にした。


我ながら安っぽい恋愛映画みたいな話だ。仕事終わりの流れで食事に行き、めずらしく泥酔したブラドさんをタクシーに押し込めたものの引っ張り込まれ、その掴まれた箇所の熱さにぼーっとしているうちに、気付いた時にはシーツの海へと沈んでいた。クラスの副担任として共に過ごすうちに同僚以上の想いがお互いに生まれつつあるのは感じていた。……少なくとも私は。だから、きっかけはどうであれ、そうゆうことになってもいいと思っていた。だけど彼は違ったらしい。


ぱたん。ドアを閉めると同時に触れた唇は、最初はちゅっ、ちゅっと遠慮がちな動きを繰り返していたのにベッドに辿り着く頃には食べられてしまうんではと錯覚するほど激しいものになっていた。合間にハァっと息を吐く姿が恐ろしく色っぽくて気が付くとその唇に手を伸ばしていた。少しかさついた厚い唇をなぞり犬歯に触れた所で、ぎゅっと伸ばした手を握られ、注がれる熱い視線に気付く。

「……ブラドさん……?」
「っ!! すまんっ」

視線が絡んだ次の瞬間、そう言って慌てて私から離れたブラドさんは気まずそうに頭を掻き、目をそらした。何か気に障るようなことをしてしまっただろうか。それとも単に私相手ではそういう気分にならなかったのだろうか。チクリと痛む胸に追い討ちをかけるように

「……名前はベッドを使ってくれ……。俺は向こうの部屋で寝るから。……なんだったら、タクシーを呼ぶが……」

と言って部屋から出て行ってしまった。言われた通りにタクシーで帰ってしまおうかとも思ったけれど、これからのことを考えたら、酔っぱらって覚えていないことにするのが最善策な気がした。────今日はなんにもなかった。明日からも今まで通りに同僚として変わらない日々が続いていく。それだけ。そう自分に言い聞かせて眠りについた。


普段、二人っきりになることなんてそうそうないはずなのに、こういう時だけ、意地悪な神様がいるもんだなと思う。パチ、パチっと資料を止める音だけが会議室に響く。沈黙が痛い。何か言いたげなブラドさんがすうっと深く息を吸い込む度に心臓が冷たくなった。全て放り出して逃げ出したい衝動に駆られる。

「……その、昨日はすまなかった」
「……え、なんのことですか? すみません。結構飲んで迷惑かけちゃったみたいで、あ、あとで鍵お返ししますね」

突然の謝罪に1拍遅れたけれど、どうにか予め用意していた台詞が口からスラスラと滑り落ちていく。視線は上げず、失敗して上手く刺さらなかった針を指先でつついて爪が欠けそうだと手を止めた。

「……覚えていないのか?」
「……」

これ以上傷付きたくない。肯定しなければ、そう思うのになんでか上手く応えることが出来ない。何も言えない私に、突然、ブラドさんは作業の手を止めガタンっと派手な音を立てて立ち上がり頭を下げた。

「……その、覚えてても覚えてなくても
聞いて欲しいんだが、昨日俺は……酔った勢いでお前を抱こうとした。本当にすまなかった!!」

その勢いに圧倒されながら防音の会議室に心の中で感謝した。そうだった。この人はそういう人だった。真っ直ぐで嘘なんかつけない。だからより一層、昨夜の拒絶が胸を抉っていたんだ。ブラドさんの口からその言葉を聞いてしまった以上、覚えていないふりは出来なくなった。ふーっと長めに息を吐きだして覚悟を決める。未だに頭を下げたままのブラドさんに向き合った。

「頭をあげてください。……ごめんなさい。本当は覚えてました」

躊躇いがちに、その肩に触れる。びくっと大きく肩が揺れ、ゆっくり頭を上げたブラドさんと今日初めて視線が交わった。申し訳なさそうに、眉尻が下がっている。

「……私、ブラドさんのことが好きでした。だから、流されてもいいと思ってました。けど、」
「なっ、ちょ、ちょっと待ってくれ」

ブラドさんの冴えなかった顔色が一瞬にして真っ赤に染まっていき、それを隠すみたいに片手で顔を覆いながら唸りはじめた。

「……名前。そ、その、それは、……本当か?」
「……本当です。正直途中で止められて傷つきました」
「なっ、……その昨日途中で止めたのは、中途半端な関係のまま抱くのはマズいと思ったからで、その、お前がどうこうとかじゃなく……。あああー!くそっ、好きだ!! 俺も名前が好きだ!!」

告白と呼ぶにはあまりにも勢いのあるそれに、一瞬呆気に取られた後、一気に緊張の糸が緩み笑いが込み上げて来た。良かった。私だけじゃなかった。

「なっ、笑うなよっ」
「あははっ、だって、わっ、ちょっ、」

腰に手がまわり、あっと思う前に視界が肌色で埋め尽くされてしまった。厚い胸板と太い腕の間に挟まれて苦しかったけれど、私と同じように速く脈打つ心臓の音に気が付いて身体から力が抜けていく。そっとその胸に身体を預けてみると、もっとよく心臓の音が聞こえた。

「……もう一度、きちんと言うぞ」
「はい」
「────好きだ、名前」

真っ直ぐな言葉にきゅっと甘く胸の中心が疼く。「私もです」と言いながら顔を上げ、視線を合わせると昨夜の出来事が思い返され、身体が熱くなっていく。これ以上はマズい離れなきゃと思うのに、離れがたくてじっとお互いに見つめ合ったままでいると、突然ガタンとドアの開く音が聞こえてきて慌てて身体を離した。その後入ってきた相澤さんに怪訝な顔をされたのは言うまでもない。




ワードパレット by しずく(@aqua_drama)様






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